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title: 東洋の魔女を組織論で読む：選抜、練習、解散の時点｜佐藤伸明
description: 1964年の金メダルは紡績工場の社員10人で取った。ニチボー貝塚を根性論でなく組織の事例として読み直す。誰をどこから選び、練習をどう設計し、いつ解散したか。そして今日真似してはいけない部分。
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組織と採用

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1. [まず事実をそろえる](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s1)
2. [選抜：自社の中から、二年かけて見る](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s2)
3. [練習の設計：体格の差を、技術の問題に書き換える](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s3)
4. [主将と監督：どの決定を誰が持っていたか](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s4)
5. [解散の時点](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s5)
6. [いま真似してはいけない部分](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s6)

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# 東洋の魔女を組織論で読む：選抜、練習、解散の時点

東洋の魔女を組織の事例として読む

[佐藤伸明](https://nobusato.jp/ja/profile?hsLang=ja)約9分

目次6

1. [まず事実をそろえる](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s1)
2. [選抜：自社の中から、二年かけて見る](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s2)
3. [練習の設計：体格の差を、技術の問題に書き換える](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s3)
4. [主将と監督：どの決定を誰が持っていたか](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s4)
5. [解散の時点](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s5)
6. [いま真似してはいけない部分](https://nobusato.jp/ja/blog/oriental-witches-1962-team-design#s6)

1964年10月23日の夜、駒沢で日本の女子バレーボールがソ連を3対0で下した。NHK総合のその夜の中継は、関東地区の世帯視聴率が66.8%で、いまもスポーツ中継の最高記録である。コートの12人のうち10人は、大阪府貝塚市の紡績工場で働く社員だった。チームの名はニチボー貝塚、通称「東洋の魔女」。この話は根性の物語として語られることが多いが、私は組織の事例として読みたい。誰をどこから選んだのか、練習はどう設計されていたのか、そしてチームはいつ終わったのか。「鬼の大松」の話は最後に回し、いま真似してはいけない部分と一緒に書く。

## まず事実をそろえる

監督の大松博文は1921年生まれ、1941年に大日本紡績（のちのニチボー、ユニチカ）に入社した会社員である。1953年に貝塚工場の女子バレーボール部の監督になり、1958年に六人制を取り入れた。1960年のブラジル世界選手権では、ニチボー貝塚を主体とする全日本がソ連に敗れて準優勝。1961年のヨーロッパ遠征で24戦全勝し、欧州の新聞がはじめ「東洋の台風」、のちに「東洋の魔女」と呼んだ。1962年10月、モスクワの世界選手権でソ連を破って優勝。監督を退くまでに国内外で175連勝した。

1964年の東京大会は総当たりで、日本は5戦全勝。10月23日のソ連戦は15対11、15対8、15対13だった。以上は人名事典、日本オリンピック委員会、五輪の記録データベースによるもので、事典のあいだで食い違うのは退任の年（1964年か1965年か）くらいである。

あまり語られない事実も二つ添えておく。当時、大松を「女性の敵」と呼んだ労働組合があった。五輪の記録データベース Olympedia の項目は、彼の練習方法は今日なら選手への虐待とみなされるだろう、とはっきり書いている。

## 選抜：自社の中から、二年かけて見る

選手はどこから来たのか。二つの経路があり、どちらも面接ではない。

一つは社内の異動だ。主将の河西昌枝はもともとニチボー足利工場にいた。大松はまだ貝塚工場の一社員で、土曜に足利まで練習を見に行き、日曜の夜行で帰っていたという（河西の回想）。選手を貝塚に集めたのはそのあとである。もう一つは高校からの採用で、宮本恵美子は和歌山商業高校から誘われ、入社後二年ほどは球拾いだった。谷田絹子は四天王寺高校の合同練習で目にとまり、ニチボーに入った。

社会学者の新雅史は『「東洋の魔女」論』で、会社側の計算を書いている。集団就職で来た若い女性労働者は数年で辞めていく。離職率を下げ、仲間と張り合いを持たせる安価な余暇として、紡績会社はバレーボールを奨励した。チームは最初から労務管理の一部で、工場が先にあり、チームはあとだ。

この選び方には二つの特徴がある。母集団が閉じていること（自社と縁のある高校だけ）、そして観察期間が長いこと（二年球拾いをさせてから判断する）。今日の会社にとって前者は不利で、後者は贅沢だ。それでも一つだけ持ち帰れる。[日本法人の最初の五人が、あとの五十人を決める](https://nobusato.jp/ja/blog/first-five-people-shape-the-next-fifty?hsLang=ja)に書いたとおり、最初の数人は基準を決めるために選ぶ。このチームの最初の数人は、監督が一人ずつ自分の目で見て選んでいる。

## 練習の設計：体格の差を、技術の問題に書き換える

回転レシーブと変化球サーブは大松の考案である。日本の選手は欧州の選手より小さい。正面から打ち合えば届かない球を、「飛び込んで、転がって、立つ」という反復できる一つの動作に変えた。個人の体格の問題が、チーム全員で練習できる技術の問題になった。

時間も設計されていた。新雅史の整理では、朝六時に起き、午後三時半ごろまで働き、そのあと深夜零時ごろまで練習する。1964年の決勝に出た神田好子は2017年のデイリースポーツの取材に、零時や一時までの練習は普通で、床に就くのは三時ごろ、大きな試合の前は朝五時まで練習したと語っている。

同じ記事に、「鬼」の一字より覚えておきたい細部がある。練習中の水分補給を認めていたこと（当時は珍しかった）。けがや病気は懇意の医師とのホットラインで管理していたこと。月に一度は練習を早く切り上げて難波で映画を観て、レストランで食事をし、帰りは駅から寮までタクシーだったこと。

強度と減圧弁が一組になった設計だった。強度のほうだけが語り継がれ、減圧弁の話はほとんど残っていない。

優勝した顔ぶれは十一年かけて作られ、金メダルと同じ年に終わった

ニチボー貝塚（東洋の魔女）の年表、1953〜1964年。コトバンク所収の各人名事典、日本オリンピック委員会、Olympedia、ビデオリサーチ、デイリースポーツ2017年の取材

1. 1953大松博文が貝塚工場の女子バレー部監督に会社員が監督を兼ね、選手は紡績工場の社員
2. 1958六人制を導入以後、回転レシーブと変化球サーブを考案
3. 1960ブラジル世界選手権で準優勝ニチボー貝塚主体の全日本、ソ連に敗れる
4. 1961ヨーロッパ遠征24戦全勝欧州の新聞が「東洋の魔女」と呼びはじめる
5. 1962モスクワ世界選手権で優勝ソ連を破る。主将の河西昌枝は29歳
6. 1963年初全員を数日帰省させ、続けるかどうかを本人に決めさせる「東京まで」を選手自身の選択にした
7. 1964.10.23五輪決勝でソ連に3対0NHK総合の中継、関東地区世帯視聴率66.8%
8. 1964大松が退任、レギュラー6人のうち5人が引退在任中175連勝。監督は1968年に参議院議員

一つの目標のために作られ、目標に届いた年に解けた。組織の設計でいちばん書き残されないのは、終わりの時点だ。

図1　東洋の魔女（ニチボー貝塚）は1953年に大松博文が監督となり、1961年の欧州遠征24戦全勝で名がつき、1962年のモスクワ世界選手権で優勝、1964年10月23日の東京五輪決勝でソ連に3対0で勝ち（NHK総合、関東地区世帯視聴率66.8%）、直後に監督が退任してレギュラー6人のうち5人が引退した。在任中175連勝。

## 主将と監督：どの決定を誰が持っていたか

方法を決めたのは大松である。そこに議論の余地はない。ただ、一つだけ、彼がはっきり手放した決定がある。

1962年に世界一になったとき、主将の河西は29歳だった。当時の紡績工場の女性の人生で言えば、結婚して退社していておかしくない年齢である。河西はのちに、本気で引退と結婚を考えたと語っている。1963年の正月、大松は全員を数日間家に帰し、戻るかどうかを一人ひとりに決めさせた。戻るなら、東京まであと二年、同じ練習をする。

この事例でいちばん賢い一手は、ここだと思う。あと二年の猛練習が監督の命令であれば、チームは1964年までもたなかっただろう。本人の選択なら、もつ。目標が自分のものになったときに人は自分で動く、という話は[やる気は、組織の形で決まる](https://nobusato.jp/ja/blog/motivation-is-a-design-decision?hsLang=ja)に書いた。大会のあと河西が総理大臣に訴えたのは、練習のせいで相手を探す時間がなかった、ということだった。総理は本当に相手を紹介し、二人は結婚した。笑い話として語られることが多いが、私が読むのは代価のほうだ。あの二年は彼女たちが自分で選び、勘定も自分で払った。

## 解散の時点

金メダルのあと、大松は退いた。レギュラー6人のうち5人が引退した。神田好子は、大松がやると言えば四年後までついて行ったかもしれないが、世界選手権と五輪で金メダルを取ったのでもういいと思った、後悔は全然ない、と語っている。新雅史によれば、多くの選手が半年から数年のうちに結婚して競技を離れた。大松は1965年に中国でバレーボールを指導し、1968年に参議院議員になった。ニチボー貝塚というクラブはそのあとも長く続くが、「東洋の魔女」という顔ぶれは1964年に終わっている。

組織として読むなら、ここがいちばん大事だと思う。このチームには最初から終点があった。はじめは1962年の世界選手権、のちに1964年の東京。選抜も練習も一人ひとりの我慢も、その終点から逆算されていた。終点に着いたらチームは解け、誰もそれを失敗とは呼ばなかった。

会社で見るのは、だいたい逆の形である。ある案件のために集めたチームが、案件が終わっても残る。次の目標はなく、解くのも惜しい。一年引き延ばすうちに、いちばん働く数人が自分から去り、残りは何をしているのか誰も知らない部署になる。[「スーパーチキン」実験](https://nobusato.jp/ja/blog/super-chickens-team-performance?hsLang=ja)の記事では、スターを集めてはいけないと書いた。ここで足しておきたいのは、集めたチームをいつ解くかは、作る日に考えておく、ということだ。

## いま真似してはいけない部分

練習時間は真似できない。午後三時半まで働いて深夜まで練習する表は、今日の労働時間の決まりでは会社が組めない。精神論の問題ではない。

「父親」としての権威も真似できない。nippon.comは2021年のフランスのドキュメンタリー映画を紹介する記事で、選手の半数以上が戦争で親を亡くしており、大松は彼女たちにとって父親のような存在だったと書いている。この依存関係は戦後のある時期の産物で、今日の雇用関係にその土台はない。

出口も真似できない。当時の出口は結婚退社で、会社も本人も、数年で必ず辞めるものとして動いていた。今日の社員にその既定の出口はない。二年間一つの目標に燃えてもらったあと、本人はまた同じ労働市場で次の仕事を探す。

当事者はどう見ていたか。井戸川絹子（現役時代の姓は谷田）は2014年の取材で、大松については「すごく怖いというイメージしかなかった」と語り、憧れる気持ちはなかったかと聞かれて「そんな雰囲気じゃ全然なかった」と笑っている。「鬼監督が奇跡を起こした」というどんな語りより、先に聞くべき言葉だと思う。

持ち帰れるのは、設計のほうだ。最初の数人を自分の目で見る。個人の不利を全員の技術に書き換える。強度には減圧弁をつける。「続けるかどうか」は本人に持たせる。解散の時点を、作る日に決めておく。

まだ整理のつかないことが一つある。このチームの成績のうち、どれだけが設計の成果で、どれだけがあの時代の女子工員にほかの選択肢がなかったことの産物なのか。二つは分けられないし、後者はもう存在しない。だからこの事例については、構造を読むことはできても、強度を学ぶことはできないと思っている。

出典（2026年10月時点）

- [コトバンク「大松博文」（20世紀日本人名事典、百科事典マイペディア、ブリタニカ国際大百科事典、デジタル版日本人名大辞典+Plus 各項目）](https://kotobank.jp/word/大松博文-92038)
- [Olympedia, Volleyball Women, Tokyo 1964（総当たりの成績、決勝のセットスコア、名簿）](https://www.olympedia.org/results/37048)
- [日本オリンピック委員会「東京1964 駒沢オリンピック公園総合運動場・バレーボールコート」](https://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/memorialplace/8.html)
- [ビデオリサーチ「全局高世帯視聴率番組50」（関東地区、1964年10月23日 NHK総合 66.8%）](https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/top50/50.html)
- [デイリースポーツ「東洋の魔女」神田好子氏インタビュー（2017年6月27日）](https://www.daily.co.jp/general/2017/06/27/0010318237.shtml)
- [PRESIDENT Online 河西昌枝氏インタビュー](https://president.jp/articles/-/8245)
- [PRESIDENT Online 新雅史氏インタビュー『「東洋の魔女」論』（2014年1月16日）](https://president.jp/articles/-/11688)
- [文藝春秋「大松博文 『鬼の大松』体罰なし」（2013年1月号、河西昌枝・宮本恵美子証言）](https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h10628)
- [Sportiva 井戸川絹子氏インタビュー（2014年10月31日）](https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/volleyball/2014/10/31/1964/)
- [nippon.com 映画『東洋の魔女』紹介（2021年）](https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c030157/)

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筆者

[佐藤伸明](https://nobusato.jp/ja/profile?hsLang=ja)Nobu Sato

日本市場の立ち上げを、人と仕組みから。組織・営業・技術組織の立ち上げについて、日本語・英語・中国語で書いています。

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## 次に読む

1. 01[組織図に載っていない人](https://nobusato.jp/ja/blog/people-not-on-the-org-chart?hsLang=ja)約8分
   
   組織図が描くのは、会社が望む情報の流れであって、実際の流れではない。報告線と影響線はどれだけ離れているか、伝えた話を誰が解釈するか、決める前に誰に相談するか。組織を診るとき、組織図に載っていない人を見つけることのほうが大事だ。
2. 02[貸し借りの帳簿は、組織図より正直だ](https://nobusato.jp/ja/blog/the-favor-ledger?hsLang=ja)約5分
   
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