数字で見る日本
賃金不払は年128億円。残業代は、なぜ後からまとめて来るのか
2022年から物差しが変わった
佐藤伸明約9分
残業代の請求は、たいてい辞めたあとに来る。在職中に「先月分が足りない」と言われることは少なく、退職した社員が労働基準監督署に申告し、監督が入り、本人を含む十数人分の過去三年分をまとめて払う、という形で表に出る。厚生労働省によれば、2025年に全国の監督署が扱った賃金不払事案は2万2,605件、対象労働者17万3,016人、金額128億5,782万円で、このうち109億9,703万円が指導を受けて年内に支払われた。この「年100億円超」が何を数えていて、どうやって積み上がるのかを見ていく。
128億円は何を数えた数字か
厚生労働省の「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果」で、2025年の一年間に監督署が扱った賃金不払事案の全部を数えたものだ。残業代はその一部にすぎない。定期賃金の未払い、最低賃金割れ、倒産や事業主の行方不明で払われなかった賃金も入る。金額の下限はなく、年内に解決せず翌年に繰り越した事案も含む。128億円のうち残業代がいくらかは、厚生労働省も分けて示していないので、ここでも分けない。
残業代だけの数字がほしければ、旧い集計を見るしかない。2021年度までは「監督指導による賃金不払残業の是正結果」という名前で、1企業あたり100万円以上の割増賃金が支払われた事案だけを、年度で集計していた。最後の2021年度は1,069企業、6万4,968人、65億781万円。1企業あたり609万円、労働者1人あたり10万円で、1,000万円以上を払った企業が115あった。さかのぼると2018年度124億4,883万円、2019年度98億4,068万円、2020年度69億8,614万円。2017年度は446億4,195万円という突出した年で、1,870企業、20万5,235人にのぼる。
2022年から集計の物差しが変わり、100万円以上の割増賃金という絞りをやめて、監督署が扱った賃金不払事案の全部を暦年で数えるようになった。2022年121億2,316万円、2023年101億9,353万円、2024年172億1,113万円、2025年128億5,782万円。どちらの物差しでも「年100億円超」の年はあるが、数えているものが違う。「年100億円超」という言い方は新しい物差しでは正しく、旧い物差しでは2018年度まで正しく、その間の数年は正しくない。
もう一つ、この合計は大きな事案に引っぱられやすい。2024年の172億円のうち運輸交通業だけで70億2,000万円、41%を占めた。2025年に金額が大きいのは保健衛生業27億1,000万円(21.1%)と製造業26億円(20.2%)で、件数では商業4,701件、製造業4,370件が多い。128億円を2万2,605件で割ると1件57万円ほど、17万3,016人で割ると1人7万円ほどになる。ほとんどの事案は小さく、ごく一部が大きい。
「年100億円超」はどちらの物差しにもある。だが2021年度までは残業代を、2022年からは賃金不払の全部を数えている
厚生労働省が公表した金額、億円。旧集計:監督指導で支払われた割増賃金、1企業100万円以上の事案のみ、年度。新集計:監督署が扱った賃金不払事案の全部、金額の下限なし、暦年。横棒は2024年の172.1億円を上限とする
本稿の見出しの数字そのほかの年
- 2018年度1,768企業・118,680人124.5億
- 2019年度1,611企業・78,717人98.4億
- 2020年度1,062企業・65,395人69.9億
- 2021年度1,069企業・64,968人65.1億
- 2022年20,531件・179,643人121.2億
- 2023年21,349件・181,903人101.9億
- 2024年22,354件・185,197人172.1億
- 2025年22,605件・173,016人128.6億
二本の線がつながらないのは、物差しを替えたからだ。何を数えたかを確かめてから、驚くなり安心するなりすればいい。
なぜ、あとからまとめて来るのか
法律が三年分の請求を認めていて、きっかけが退職だからである。2020年4月1日施行の改正労働基準法で、賃金請求権の消滅時効は2年から5年に延びた。経過措置として当分の間は3年。裁判所が命じる付加金(未払額と同額まで上乗せされる)の請求期間も同じく2年から3年になった。2026年10月時点でも3年のままだ。一人が辞めるときに三年さかのぼれば、十人なら三十人年分になる。
監督はどこから来るか。監督署の立入りには定期監督、申告監督、再監督があり、申告とは労働者が自分で監督署に申し出ることだ。2024年の申告監督は全国で2万557件。各労働局が公表する申告の中身は賃金不払が大半で、岐阜労働局が2025年に申告で監督した300事業場では申告事項の最多が賃金不払の264件、沖縄労働局の2024年の申告では64.2%がそうだった。在職中に申告する人は少なく、辞めてから行く。だから精算は退職のあとになる。
同じ改正で、賃金台帳などの記録の保存期間も3年から5年に延び、こちらも当分の間3年である。会社に記録がないことは、社員に記録がないことを意味しない。監督署が見るのは証明できる時間で、打刻、パソコンのログ、入退館の記録、チャットの時刻、どれも使われる。
よくある三つの思い違い
一つ目は固定残業代だ。給与に「残業20時間分」を含めておけば計算しなくてよい、と考えている会社は多い。厚生労働省が2025年の結果と一緒に公表した是正事例に、建設資材の卸売業でまさにこの形があった。20時間を超えた分と深夜の割増がまったく払われておらず、是正を求められている。固定残業代が覆うのは、定めた時間数までである。超えた分は実時間で計算する。しかも基本給と残業代の部分を契約書や給与明細で分けて示していなければ、全体が基本給とみなされ、残業代は一から計算し直しになる。
二つ目は管理監督者だ。労働基準法第41条は、監督もしくは管理の地位にある者に労働時間・休憩・休日の規定を適用しないと定めていて、これを根拠に課長以上を全員「残業代なし」にしている会社がある。厚生労働省のパンフレットは、管理監督者に当たるかどうかは役職名ではなく、職務内容、責任と権限、勤務態様、待遇の実態で判断すると書いている。2008年には東京地方裁判所が日本マクドナルドの店長について管理監督者に当たらないと判断し、同じ年に厚生労働省がチェーン店の店長に関する通達を出した。本物の管理監督者であっても、22時から5時までの深夜割増は払う必要があり、年次有給休暇も与える必要がある。
最後の一つは裁量労働制だ。外国企業の経営者はこれを「エンジニアは時間を数えなくてよい制度」と理解しがちである。実際には、専門業務型は省令と告示で定められた20業務にしか使えない。研究開発、情報処理システムの分析・設計、デザインの考案などで、営業は入っていないし、エンジニアでも運用保守の仕事は入らないことがある。労使協定を結んで監督署に届け出る必要があり、2024年4月1日からは本人の同意も要る。対象外の人に使っていれば、最初から制度がなかったものとして残業代を計算し直すことになる。
2025年の是正事例にはもう一つ、覚えておきたいものがある。自動車部品の製造業で、ICカードで打刻しているのに、始業前と終業後の各15分を切り捨てていた。一日30分なら一年で百時間を超える。監督署は打刻どおりに払うよう求めた。
自社の数字に置き換えると
仮に社員20人の日本法人で、10人に毎月10時間の未計算の残業があるとする。月給32万円、時給に直して2,000円、割増1.25倍で2,500円。一人あたり月2.5万円、年30万円、三年で90万円。10人で900万円になる。これが是正で払う分で、裁判になれば付加金で倍までふくらみうる。もちろん仮の数字で統計ではないが、桁の感覚はこのくらいだと思う。毎月の小さな見落としが、三年後に本社へ説明の要る金額になる。
労働審判が年に何件あって、外資の日本法人にどのくらい縁があるかは「労働審判、年3,400件の読み方」に書いた。解雇紛争になったときの解決金の相場は「日本で社員に辞めてもらうと、いくらかかるのか」にまとめてある。未払残業代の請求と解雇の争いは、同じ人の同じ事件として一緒に来ることが多い。
安く済ませる方法は昔から変わらない。36協定を届け出る。打刻の記録を会社が持つ。割増賃金の基礎に手当を含める。固定残業代は時間数を明示し、超えたら払う。日本人が月に何時間残業しているかは「残業は月13時間か、21時間か」に二つの物差しの数字を置いてあるので、自社がどのあたりにいるかの目安にはなる。
最後に、この数字の限界を書いておく。128億円は監督署まで届いた分にすぎない。申告しなかった人、会社と内々に片づけた人、監督署を通さず労働審判や裁判に行った人の分は入っていない。だから日本の賃金不払の総量でも、残業代の総量でもない。読み取れるのは、監督署が毎年二万件あまりのこうした事案を扱っていて、その九割以上で最終的に会社が金を払っている、ということだけである。
本稿は一般的な情報の提供を目的としたもので、法的助言ではない。固定残業代、管理監督者、裁量労働制の個別の適用や、是正勧告を受けたあとの対応については、社会保険労務士や弁護士に相談してほしい。数字は厚生労働省の公表資料によるもので、2026年10月時点のものである。計算例は仮定である。
出典(2026年10月時点)
- 厚生労働省「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和7年)」及び別紙PDF(件数・労働者数・金額、業種別、是正事例)
- 厚生労働省「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和6年)」及び別紙PDF(運輸交通業70.2億円)
- 厚生労働省「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和5年)」
- 厚生労働省「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和4年)」(集計方法変更の説明)
- 厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果(令和3年度)」
- 厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果(令和2年度)」
- 厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果(令和元年度)」
- 厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果(平成30年度)」(前年度比から平成29年度の値を算出)
- 厚生労働省労働基準局「改正労働基準法等に関するQ&A」(2020年4月1日、賃金請求権の消滅時効・付加金・記録の保存)
- 厚生労働省「労働基準法における管理監督者の範囲の適正化のために」(2008年9月)
- 厚生労働省「専門業務型裁量労働制について」(2024年4月改正対応パンフレット)
- 厚生労働省「令和6年 労働基準監督年報」(申告監督件数)
- 岐阜労働局「令和7年 監督指導結果」(申告の内訳)
- 沖縄労働局「令和6年 監督指導結果」(申告の内訳)