組織と採用
組織改編の前に、誰が何を失うかを数える
いちばん勘定から漏れるのは将来
佐藤伸明約7分
四月一日の朝、社内ポータルに新しい組織図が載る。描いた側にとっては、線を何本か引き直しただけの図だ。見る側は、まず自分の名前を探す。上に誰がいるか。下に何人残ったか。昨日まで出ていた会議に、今日も呼ばれるのか。組織改編がうまくいかないとき、案そのものが間違っていることは意外に少ない。足りないのは、この改編で誰が何を失うのかという勘定である。
組織改編は、どこでつまずくのか
多くは実行の段階でつまずく。マッキンゼー(McKinsey & Company)が2013年9月に2,063人の経営幹部に行い、2014年7月に公表した調査では、組織の再設計に自ら関わった人のうち、それが成功だったと答えたのは21%にとどまった。再設計を終えたものの目標に届かなかった企業では、52%が従業員の積極的な抵抗を課題に挙げている。成功した企業では19%だった。
33ポイントの差がある。抵抗にはたいてい理由があって、その理由はだいたい、自分が失うものだ。
経営者は改編を「新しい形が古い形より何がよいか」で見る。改編される側は「自分から何がなくなるか」で見る。二つの勘定は、はじめから噛み合わない。トヴェルスキーとカーネマンが1992年にJournal of Risk and Uncertainty誌に発表した研究では、損失回避の係数の中央値が2.25だった。同じ大きさなら、損失は利得の二倍あまり重く感じられるということだ。実験室の金銭の賭けの話を組織に持ち込むのは私の類推にすぎない。ただ、新しいものを一つ渡して古いものを一つ取り上げると、相手が覚えているのは取り上げられたほうだ、という感覚とはよく合う。
失うものの帳簿:五つの項目
組織を動かす前に、影響を受ける人ごとに一行ずつ、次の五つのうち何を失うかを書き出してみるとよい。
権限。報告ライン、決裁権、部下の人数。二つの部が一つになれば、部長は一人になり、もう一人は副部長か「担当部長」になる。給与は変わらなくても、決められることは半分になる。
情報。いちばん見落とされやすい。報告ラインが変わると、ある定例会議に呼ばれなくなり、あるメーリングリストから外れる。顧客の動きも本社の風向きも、最初に知る立場から最後に知る立場に移る。改編への不満の多くは、「なぜ自分が最後に知ったのか」から始まっていると思う。
資源。予算、人員、道具、取引先との関係。機能を本社に集めるときがいちばんわかりやすい。お金と人が一緒に持っていかれ、仕事だけが残る。
立場。肩書き、名刺、顧客や部下の前での役回り。日本では、この項目の重みを海外の経営者が軽く見積もりがちだ。名刺の「部長」が「シニアマネージャー」に変われば、本人は何十社もの取引先に説明して回ることになる(そして説明のたびに、相手の顔に一瞬「何かあったな」という表情がよぎる)。
将来。見えていた昇進の道筋である。階層を一段減らせば、本人が次に座るはずだった席がなくなる。この項目はその場では見えない。改編の説明会で口にする人もいない。それでも、半年後に人が辞める理由になりやすいのはこれだ。
組織図の線を一本変えると、失うものは一つでは済まず、いちばん勘定から漏れるのは将来だ
よくある改編の動きと当事者が失うもの。筆者の五項目の帳簿で整理した見立てであり、統計ではない
上の四つは、その場で不満として出てくる。将来は誰も口にせず、半年後の退職理由になる。
帳簿をつけ終えると、失うものがある人は、組織図から名前が消える数人よりずっと多いことに気づく。統合後に部長として残る人も、勝った側に見えて、昨日までの同僚が今日から部下になる。旧部署での貸し借りの帳簿は、つけ直しだ。組織図に描かれない人や関係については、組織図に載っていない人に書いた。
異動に慣れた日本の会社で、なぜ改編はこじれるのか
日本の会社が慣れているのは人の異動であり、権限の組み替えには慣れていないからだと思う。四月と十月に定期異動を行い、内示から辞令へ進む会社は多い。人が部署から部署へ移ることには、みな慣れている。ただ、その異動で動くのは人で、席と権限の構造はそのまま残る。改編が動かすのは、その構造そのものだ。どの部が残り、誰が誰に報告し、どの予算が誰のものになるか。
そのため抵抗の形も独特になる。面と向かって反対する人はまずいない。会議ではみな頷く。抵抗はそのあとに来る。引き継ぎが遅れる、情報が回らない、新しい部長のメールへの返信が一拍遅れる。部署は一つの「場」であり、場がなくなると帰属の感覚も散ってしまう。「場」でまとまる日本人と、機能別マトリクスで書いたのと、根は同じである。
法律については一点だけ触れておく。配置転換には限界がある。2024年4月26日の最高裁判決は、職種や業務内容を限定する合意がある場合、本人の個別の同意なしに他の職種へ配転することはできないとした。同じ2024年4月からは、労働契約を結ぶ際に就業場所と業務の変更の範囲を明示することも求められている。職種や勤務地が変わる改編なら、まず当初の契約を確かめたい。詳しくは転勤の内示は断れるのかに譲る。
順番は、話す、発表する、権限を切り替える
順番を誤ると、同じ案でも余計な費用がかかる。
まず話す。帳簿の上で失うものが多い人から、一対一で話す。何を失うかを遠回しにせず伝え、新しい役割に何が残るか、会社が補うつもりの損失と補えない損失を伝える。補えないものは、補えないと言う。日本ではこの一対一に、もう一つ役目がある。本人が自分の部下や取引先にどう話すかを考える時間をつくることだ。全社説明会で、部下と同じタイミングで自分の降格を知らされた部長は、その場で面目を失う。失った面目は、あとから取り戻しにくい。
次に発表する。話し終えてから、全員に発表する。新しい組織図をきれいに見せるより、なぜ変えるのかを説明するほうに時間を使う。
最後に権限を切り替える。システムの権限、決裁の経路、予算の帰属、メーリングリストは、発表のあと、決めておいた日付で切り替える。最悪なのは逆の順番だ。情報システム部門が先に決裁フローを変え、本人は自分の承認ボタンが消えているのを見て改編を知る。冗談のようだが、決裁フローと人事発令を別々の部署が持っている会社なら、起こりうる話である。
この順番だと、改編は二、三週間遅れる。それでも割に合うと私は考えている。その二、三週間は、発表後半年続く静かな抵抗よりずっと安い。
もっとも、帳簿がいつも釣り合うわけではない。ある人の権限を取り上げること自体が目的の改編もある。補えないし、補うつもりもない。それでも、その人の一行は書いておきたい。四月一日の朝、ポータルで自分の名前を探すその人が、そこで初めて知るのか、その前に一度直接聞いているのか。残せる差はそれくらいしかないが、その差は案外長く覚えられているように思う。
本稿は一般的な情報の提供を目的としたもので、法的助言ではない。職種限定の合意があるかどうか、配置転換や転勤の命令が有効かどうか、労働条件通知書に何を書くかは、個別の契約と事実関係によって変わる。具体的な判断は弁護士や社会保険労務士に相談してほしい。判決と明示ルールの内容は2026年11月時点のものである。
出典(2026年11月時点)
- McKinsey & Company, "The secrets of successful organizational redesigns: McKinsey Global Survey results"(2014年)
- Tversky & Kahneman, "Advances in Prospect Theory: Cumulative Representation of Uncertainty," Journal of Risk and Uncertainty 5(1992年)
- 最高裁判所第二小法廷 令和6年4月26日判決(令和5年(受)第604号)裁判例情報
- BUSINESS LAWYERS(田辺総合法律事務所 鈴木翼)最高裁令和6年4月26日判決(職種限定合意と配置転換)の解説(2025年)
- 厚生労働省「2024年4月から労働条件明示のルールが変わります」(2024年)
- 厚生労働省 静岡労働局 労働条件明示のルール変更(2024年4月)