佐藤伸明 Nobu Sato

辞め方は帳簿に残る:前職との貸し借り

辞め方が前職との貸し借りの帳簿に残り、出戻り採用などで読み返されることを示す図

最終出社日に社員証を返し、送別会が終わり、翌週にはチャットのアカウントも消える。その会社との関係はそこで閉じたように感じる。ところが採用の現場にいると、辞め方はそのあと何年も、思わぬところで読み返されている、と感じることが多い。

以前、職場の「貸し借り」について書いた。マルセル・モースが『贈与論』(1925年)で描いた、与える・受け取る・返すという循環が、日本の職場では組織図より正確に仕事を動かしている、という話だ(組織図には載らない貸し借りの帳簿)。今回はそれを、組織ではなく個人のキャリアの側から見てみたい。辞めた人の欄は、帳簿から消えずに残っている。

リファレンスが薄いのに、評判はなぜ届くのか

日本の中途採用では、公式の経路で前職の評判が伝わることは少ない。それでも評判が届くのは、市場が狭く、知り合いの鎖が短いからだと私は考えている。

私が経験してきた範囲では、前職の人事に問い合わせても、確認できたのは在籍期間くらいだった。本人が挙げた推薦者には、私は必ず「この人ともう一度一緒に働きたいか」と聞く。ただ、その答えは建前として受け取り、判断の柱にはしていない。推薦者が全員好意的だった候補者が、入社後に実行力の面でかなり苦労したことがあるからだ。リファレンスチェックの限界については日本のリファレンスチェックで分かること、分からないことに詳しく書いた。

一方で、同じ業界で二、三社を渡り歩けば、次の職場に前の同僚の知り合いがいるのは珍しくない。営業なら顧客が重なり、エンジニアなら勉強会や前のプロジェクトでつながっている。

断っておくと、私自身は候補者についての非公式な裏取り、いわゆるバックチャネルはしない。本人の転職活動が現職に漏れるおそれがあり、リスクが大きすぎると考えているからだ。ただ、採用する側の全員が同じ考えだとは限らない。それに、採用の時点で読まれなくても、帳簿は入社後に効いてくる。前の同僚が取引先の担当者になる、上司として異動してくる、誰かを紹介してくれる立場に回る。そういう場面で、昔の辞め方が静かに参照される。

辞め方のどこが帳簿に書き込まれるのか

私の見るところ、記録に残りやすいのは、引き継ぎ、辞める時期、そして同僚を連れて行くかどうかである。どれも法律上は本人の自由にかなり委ねられている部分だ。

引き継ぎ

期間の定めのない雇用であれば、民法627条により、退職の申し入れから2週間で雇用は終了する。厚生労働省茨城労働局のQ&Aも、使用者の承諾がなくても2週間で効力が生じると説明している(厚生労働省 茨城労働局「辞めたいのに辞めさせてもらえない」、2026年10月時点)。辞める権利はしっかり守られている。辞めること自体を難しくする職場もあるので、まず自分を守る判断をした人を責める気はない。

ただ、帳簿は法律とは別の欄で動く。残った人が何か月も、誰も知らない設定や顧客との約束を掘り起こし続けることになれば、その手間は辞めた人の名前と一緒に覚えられる。逆に、手順書が一枚あり、後任と二、三回並んで仕事をしてから去った人のことは、何年たっても「あの人はきちんとしていた」と語られることが多い。

辞める時期

決算の直前、大型案件の山場、新しい上司が着任したばかり。そういう時期の退職は、本人にどれだけ事情があっても「あのタイミングで」と記憶されやすい。区切りまで待てるならそれは小さくない「貸し」になるし、待てない事情があるなら、それを早めに伝えるだけでも書き込まれる内容は変わる。いつも待つべきだとは思わない。選べるなら選んだほうがいい、という程度の話だ。

同僚を連れて行くこと

法律家の判例解説によれば、在職中の取締役による引き抜きでさえ、単なる転職の勧誘にとどまれば違法とまではされにくく、社会的相当性を逸脱した態様の場合に違法とされる、というのが一般的な見方とされている(Westlaw Japan 判例コラム、2022年。同コラムは東京地裁平成3年2月25日判決などを根拠に挙げている)。法的に問題がないことと、帳簿の上で何も起きないことは、別の話である。前の会社から見れば、一人が辞めることと、チームの中核が続けて抜けることは、まったく違う出来事として記録される。

なお、ここに書いたのは一般的な情報で、法的な助言ではない。個別の事情で判断は分かれるので、具体的な場面では総合労働相談コーナーや弁護士に相談してほしい。

戻る道は、思っているより太い

帳簿がいちばんはっきり読まれるのは、元の会社に戻るときだろう。マイナビ「中途採用・転職活動の定点調査(2024年1月)」では、企業の40.9%が退職者を再び採用するアルムナイ採用を実施していると答えた(856社)。従業員301人以上の企業では55.7%に上る。転職経験者の側では、12.3%が以前の勤務先に戻った経験がある(997人)(マイナビ、2024年1月調査)。

企業側(2024年1月) アルムナイ採用を実施 40.9%(856社) うち従業員301人以上 55.7%(366社) 個人側(転職経験者) 前の勤務先に戻りたいと思った 32.9%(1,005人、2024年6月) 実際に戻った経験がある 12.3%(997人、2024年1月) 出典:マイナビ「中途採用・転職活動の定点調査」2024年1月・6月。母数が異なるため割合同士は直接比べられない。

Fig.1アルムナイ採用は企業の約4割、大企業では半数超が実施している。戻りたいと思った人は約3人に1人だが、実際に戻った経験がある人は1割強にとどまる。

同じ調査では、出戻りの不安として「辞めた原因になった問題がまた起きるのではないか」が最も多く挙がった(複数回答で38.0%)。そして2024年6月の調査では、前の勤務先に戻りたいと思ったことがある人が32.9%いる一方、前職との連絡が「基本的にない」人が42.5%いた(1,005人)(マイナビ、2024年6月調査)。

戻りたい人は3人に1人いるのに、4割強は関係を切っている。この数字だけで因果は言えない。ただ私には、戻れるかどうかは辞めた日に何を残したかと、そのあと関係を細くでも保っていたかに、かなり左右されるように見える。

理由を残さずに去ると

辞めようとしていたメンバーを引き留めようとしたことがある。本人は話し合いそのものを断ったので、理由はいまも知らない。理由を話す義務は本人にはないし、それを不義理だとは思わない。ただ、理由が分からないまま終わると、残った側は自分たちの何が原因だったのかを確かめようがない。退職面談で本音が出にくいことは退職者アンケートが本音を映さない理由にも書いたが、辞める側が一言残すだけで、帳簿のその欄はずいぶん読みやすくなる。

どの程度の不義理なら時間で薄まるのか、私にはまだ見当がつかない。数年で誰も話題にしなくなる人もいれば、十年近くたっても名前が出る人もいる。業界の狭さや、その人の立場によるのだろう。日本で数年働いてまた海外に出る人にとって、この帳簿がどこまで効くのかも、正直なところ確信がない。

次の会社を選ぶとき、私たちは条件を細かく比べる。辞めるときには、それと同じくらい静かに、何を残していくかを選んでいる。いまの職場を離れる日が来たとき、自分の欄にはどう書かれていてほしいだろうか。


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