立ち上げの実務
競合は同業とは限らない。顧客の予算を取り合う相手
顧客の予算の行き先から競合を見る
佐藤伸明約7分
営業の案件管理表で、失注理由に「見送り」と書かれた行がある。競合比較では勝っていた。価格も通っていた。それでも決まらなかった。この案件は、いったい誰に負けたのか。競合一覧に並ぶ同業のどこにも負けていない。勝ったのは「今年は現状のままで」という判断のほうである。顧客の予算を取り合っている相手は、同業の外にもいる。
競合一覧から抜け落ちている相手は誰か
自社に似ていない相手、すべてである。
競合一覧は、ふつう「似ているもの」で作る。同じ種類の製品、同じ機能、同じ価格帯。けれども顧客が比べているのは製品そのものより、その予算と、担当者の時間と、今回の決裁を、ほかに何に使えるかだ。そう問い直すと、相手は少なくとも五種類になる。
他社の同種製品。これは一覧にすでにある。代わりになる道具、たとえばExcelや紙の帳簿。人に任せるという選択、外注先や税理士事務所。社内でつくるか、付き合いのあるSIerの次期案件に組み込んでもらうか。そして何もしない、つまり現状維持。
多くの競合一覧で、後ろの四つは空欄になっている。
どの会社を競合一覧に入れるかは、競合を間違えるのは、競合がいないより悪いで三つの基準として書いた。その一つが「事業上の脅威」、つまり自社の顧客をいま奪っているか、これから奪いうるかである。本稿はその一つだけを掘り下げる。顧客を奪う相手は、会社の形をしていないことが多い。
会計ソフトの本当の競合
Excelとノートである。この分野にはちょうど数字がある。
調査会社のMM総研は毎年、確定申告の時期が終わったあとに個人事業主へのウェブ調査を行っている。2026年4月に公表された回は2025年分の確定申告が対象で、回答した個人事業主は15,845人。会計ソフトを使っている人は40.9%、使っていない人は49.5%だった。使っていない人に代わりに何を使っているかを聞くと、Excelなどの表計算ソフトが37.5%、市販の帳簿やノートへの手書きが36.5%、税理士や会計事務所への外部委託が21.5%である。
これを個人事業主全体に対する割合に直してみた(筆者の計算)。Excelが約18.6%、手書きが約18.1%、税理士への委託が約10.6%。Excelと手書きを合わせると36.6%で、会計ソフト利用者全体の40.9%とほとんど変わらない。
個人事業主の帳簿は、Excelと手書きを合わせると会計ソフト全体とほぼ同じ規模になる
2025年分の確定申告をした個人事業主15,845人へのウェブ調査(MM総研、2026年4月公表)。「会計ソフト非利用」49.5%の内訳を全体比に換算したのは筆者。約9.6%はどちらにも分類されない
- 会計ソフトクラウド型・インストール型の計40.9%
- Excelなどの表計算非利用者の37.5%18.6%
- 帳簿・ノートに手書き非利用者の36.5%18.1%
- 税理士・会計事務所に委託非利用者の21.5%10.6%
- 弥生54.0%
- freee25.1%
- マネーフォワード15.7%
同業が取り合っているのは下の小さな区画で、いちばん大きな競合は表計算とノートだ。
クラウド会計三社のシェアは一年に一、二ポイント動き、業界ニュースはそれを丁寧に報じる。だが新しく参入する側から見れば、伸びしろは上の二本の朱の線のほうにある。個人事業主の三分の一以上が、いまも表計算とノートで帳簿をつけている。
割り引いて読むべき点もある。これはウェブ調査で、答えている人はもともとネットに慣れている。現実の手書きの割合は、たぶんこれより高い。
現状維持がどれだけ粘るかを示す数字もある。MM総研のクラウド会計利用率(2026年版の説明では、会計ソフト利用者に占めるクラウド型の割合)は、2025年の調査で33.7%から38.3%へ4.6ポイント伸びた。同社はその背景に、2021年からの税制上の優遇と2023年10月に始まったインボイス制度を挙げている。それが2026年の調査では38.4%、伸びは0.1ポイントにとどまった。同社は前回の大きな伸びの一時的な反動とみている。私はもう少し悲観的に読んでいて、制度が背中を押すと人は動き、押す力がなくなると慣性が戻るのだと思う。
税理士は競合か、販路か
どちらでもある。
上の10.6%は、帳簿づけをまるごと税理士や会計事務所に任せた人たちだ。会計ソフトから見れば、その予算はソフトではなく人に流れている。国税庁によると、2026年3月末時点で登録している税理士は82,513人、税理士法人は5,287社ある。全国を覆う網である。
しかし同じ人たちが、顧問先がどの会計ソフトを使うかにも強く影響する。だからソフト会社は税理士事務所に寄っていく。freeeは2026年8月に、資料の回収から決算申告までをAIで支援する税理士事務所向けの製品を発表した。競合と販路が同じ人である、というのは日本の小規模事業者の市場ではめずらしくない。
小規模事業者には、もともと信頼している相手を通じて売る。金融機関、商工会、税理士。製品、営業、組織の順に決める理由では、これを販路の話として書いた。市場地図に落とすなら、同じ名前を「競合」と「販路」の両方の欄に書くことになる。
日本のB2Bでいちばん強い競合
中堅企業や大企業になると、相手はまた姿を変える。
一つは、付き合いのあるSIerである。いまのシステムを組んだのはそのSIerで、保守契約もそこにあり、次の改修の見積もりもそこから出てくる。新しいSaaSを入れるには、顧客はまず、十数年の付き合いがあるSIerにどう説明するかを考えなければならない。日本ではIT人材の多くがベンダー側にいて、ユーザー企業の中にシステムをわかる人は少ない。その構造はIT人材の7割はIT企業にいるで分解した。システムをわかっている人がSIerにいる以上、乗り換えるかどうかの判断にもSIerの声が大きく効く。
もう一つは、何もしないことだ。米国の営業研究者マシュー・ディクソン(Matt Dixon)とテッド・マッケナ(Ted McKenna)は、数十社から集めた約250万件の商談の録音を分析し、『The JOLT Effect』にまとめた。ディクソンはインタビューで、商談の40%から60%は顧客が何もしないことで失われていると述べている。面白いのはその先である。「いまのままで十分だ」と思って動かない顧客は、そのうちの半分に満たない。より大きいのは、選び間違えるのが怖くて選べない顧客だという。
これは米国のデータで、日本で同じ規模の研究は見たことがない。ただ、日本ではこの「選び間違えが怖い」の比重はもっと大きいのではないかと思う。稟議には何人もの印鑑が並び、押した人はそれぞれ判断の責任を負う。比較で勝っても、決裁する人のリスクを下げられなければ、案件は「来期に再検討」で止まる。
市場地図に、似ていない競合を書き込む
やり方は単純で、競合一覧に一列足す。この顧客層のこの予算は、いま何に使われているか。
出てきた答えのそれぞれについて、さらに問う。顧客がそこから自社に乗り換えるには、何を払うのか。お金か、時間か、誰かの面子か。反対するのは誰か。付き合いのあるSIerか、Excelを管理しているベテラン社員か、顧問の税理士か。現状を崩すきっかけは何か。法令の改正か、システムの更新期限か、社長の交代か。
ここまで書くと、案件ごとの戦い方が変わってくる。相手がExcelなら、移行がどれだけ楽かを示す。相手がSIerなら、先にSIerと組むほうが早いかもしれない。相手が「何もしない」なら、売るべきものは決裁者のリスクの軽さになる。小さく試せること、やめられる契約、同業の導入事例。
この一列は、二枚の地図のうち市場地図の側に入る。競合一覧のいちばん上の行には「現状」と書いておくとよい。
手始めに、案件管理表で失注理由が「見送り」になっている案件を、この一列で読み直してみてほしい。冒頭の案件も、負けた相手の名前はたぶん書ける。現状か、付き合いのあるSIerか、決裁者の不安か。
出典(2026年11月時点)