組織と採用
採用要件は掛け算。五つ重ねると候補者は十人前後
公的統計で求人票を一度数えてみる
佐藤伸明約7分
求人票の要件欄は、会議のたびに一行ずつ増えていく。ビジネスレベルの日本語、本社と中国語で直接やりとりできること、IT業界の経験、チームを率いた経験、三十人規模の会社に来てくれること。どの行にも反対する人はいない。ところが公的統計で粗く掛け算してみると、この条件をすべて満たし、しかも今年実際に転職する人は、日本全国で数十人になる。もう二行足すと、十人前後だ。
一つずつは妥当なのに、なぜ揃うと厳しいのか
要件は掛け算で効くのに、決めるときは足し算で考えているからだ。
求人票を詰める会議で問われるのは「この条件は妥当か」である。日本語力は要る。業界知識も要る。マネジメント経験もあったほうがいい。一行ずつ審査すれば、どれも通る。しかし候補者はすべてを同時に満たす必要があるので、母集団は一行ごとに掛け算で縮む。一割しか残らない条件と、二割しか残らない条件が並べば、残るのは2%である。
足し算の発想には、もう一つ副作用がある。条件は増える一方で、減らす係がいない。面接官はそれぞれ自分の気になる一行を足したくなる(気持ちはよくわかる。一行足すのは、その場ではいちばん安い安心だからだ)。求人票は長くなり、母集団は小さくなり、最後は「市場に人がいない」という結論になる。
公的統計で一度、粗く数えてみる
冒頭の求人を、日本の公的統計で数えてみた。あらかじめ断っておくと、これは推計である。各段階の比率の出どころは下に書いた。二つの段階は私の仮定である。
第一段階は中国語の条件で、ここは国籍で代用する。厚生労働省「外国人雇用状況」の届出状況によると、2025年10月末時点で日本で働く中国籍(香港、マカオを含む)の労働者は431,949人である。事業主の届出に基づく数字で、特別永住者は含まれない。中国語ができる日本人ももちろんいるが、それを数えた統計は見当たらない。だからここは国籍で近似するしかない。
第二段階はIT業界。同じ届出状況で、中国籍労働者のうち情報通信業で働く人は46,658人、10.8%である。
第三段階はチームを率いた経験。「十人以上を率いた」という統計は日本にない。いちばん近いのは総務省「労働力調査」の職業分類にある「管理的職業従事者」で、おおむね課長相当以上の管理職と会社役員にあたる。2025年平均で125万人、就業者6,828万人の1.8%だ。日本で働く中国籍IT人材の管理職比率を示す統計はないので、ここは推計上の仮定として全国比率をそのまま借りる。すると46,658人のうち約850人になる。
第四段階は、今年実際に動く人。同じ「労働力調査」で、2025年に転職した人は330万人、就業者の約4.8%である。ここも全国比率を借りる仮定で、850人に4.8%を掛けると約40人。転職を希望しているがまだ動いていない人は1,023万人、約15%なので、こちらは130人前後になる。
第五段階は残りの二行、SaaSの営業出身で、三十人の会社に来てくれる人。これは統計がない。かなり甘めの推計上の仮定として、それぞれ半分が残ることにする。40人の半分の半分で、約10人である。
五つの要件を掛け合わせると、一年に動く候補者は全国で十人前後になる
日本で働く中国籍労働者を起点にした段階的な推計。第1・2段階は厚生労働省「外国人雇用状況」2025年10月末の実数、第3・4段階は総務省「労働力調査」2025年の全国比率を借用、第5段階は仮定
- 1日本で働く中国籍労働者 431,949人事業主の届出ベース。香港、マカオを含み、特別永住者を含まない
- 2うち情報通信業 46,658人10.8%。同じ届出状況の実数
- 3チームを率いた経験 約850人仮定:全国の管理的職業従事者の比率1.8%(125万人/6,828万人)を借用
- 4今年実際に転職する 約40人仮定:全国の転職者比率4.8%(330万人/6,828万人)を借用。転職希望者なら約130人
- 5SaaS営業出身、三十人の会社に来る 約10人統計なし。二つの条件がそれぞれ半分残ると仮定
一行ずつは妥当でも、掛け合わせると採用期間より母集団のほうが小さい。
十人が全国に散らばり、一年のあいだにばらばらに動く。その数週間に求人がちょうど出ていて、しかも目に留まらなければならない。三か月で決まらないのは、むしろ自然である。
比較のために、日本人の側でも同じ掛け算をしておく。「労働力調査」の情報通信業の就業者は2025年に302万人。同じ1.8%と4.8%を掛けると、一年に動くのは約2,700人である。2,700人から40人へ。いちばん大きく削っているのは「中国語」の一行だ。日本で働く外国人がどこにいるかは、日本で働く外国人257万人は、どこに、どの資格でいるのかで分解した。
この推計は、どこで外れるのか
外れる。しかも、どちらの方向にも外れうる。
小さく出すぎる理由は、条件同士が独立していないことだ。IT営業のマネジメントをしている中国籍の人は、平均的な中国籍労働者より小さな会社に移る意欲が高いかもしれないし、SaaS出身の比率も高いかもしれない。相関のある条件は、単純に掛けた値より多く残る。
大きく出すぎる理由もある。第三段階で借りたのは全国の比率だ。日本で働く中国籍のIT人材には二十代、三十代のエンジニアが多く、課長以上の比率は1.8%より低いのではないかと私は見ている。850人は多めかもしれない。
転職者比率4.8%も全国平均で、管理職の転職頻度は若手と違うはずだが、職位別の数字は手元にない。転職したい人と実際に動く人のあいだの距離は、転職したい1,023万人、実際に動いた330万人に書いた。
だから「10」という数字そのものにはあまり意味がない。意味があるのは桁である。二倍ずれても5人から20人。二百人にはならない。
母集団を数えてから、求人票を書く
粗い掛け算でわかるのは桁までだ。実際に動くときは、向きを逆にする。全国から掛け下ろすのをやめて、具体的な会社から数え上げる。
これが人材マップの仕事である。まず、その人がいまどの会社にいるかを並べる。同業、同じ顧客を相手にする上流と下流、日々の仕事が同じ隣の業界。それぞれの会社で該当する職種に何人いるかを、有価証券報告書や会社のウェブサイト、LinkedInから大まかに見積もる。そのうえで要件を一行ずつ当てていく。この数十社のなかに、すべてを満たす人は何人いるか。
数えた結果は、たいてい二通りに分かれる。
一つは、母集団はちゃんとあるが、転職市場に出ていない場合。数十人、百人といる。この場合の課題は接点の作り方で、応募を待たずにこちらから探しに行くことになる。
もう一つは、母集団がもともと一桁の場合。三か月待っても状況は変わらない。求人票に戻って、どの一行を先に緩めるかを決めるしかない。入社後半年で補える条件と補えない条件の見分け方は、人材マップは名簿ではないに書いたので、ここでは繰り返さない。一つだけ言うと、この判断は求人を出す前にしておいたほうがいい。半年探して経営者が焦りはじめてから、追い込まれて決めるのでは遅い。
次に求人票を決める会議では、一行足すたびに横へ数字を一つ書いてみるといい。この一行で、母集団はあと何人残るか。書けない行は、まだ足さない。
正直なところ、求人票でいちばん高くつく一行は、書いた本人がいちばん当然だと思っている一行であることが多い。今回の例なら「本社と中国語で直接やりとりできる」だろう。それに見合う価値があるかどうかは、本社が通訳を一人つける気があるかどうかで決まる。人事の判断の範囲を超えた話である。
出典(2026年11月時点)